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井山裕太、七冠への道~~第2章~~悔し涙
井山裕太がタイトルを取るのに時間はそれほどかからなかった。
黄翊祖に二連勝した2005年、井山は阿含桐山杯という全棋士参加棋戦で優勝する。
本戦で張栩名人(当時)、王立誠九段、趙治勲十段(当時)、小林覚九段という超一流棋士をなぎ倒しての優勝である。
16歳でのタイトル獲得は史上最年少記録で現在も破られていない。
若さと勢いに乗った結果、井山は空前絶後の大記録を達成する。
賞金は高いものの、阿含桐山杯は七大タイトルではない。
七大タイトルの舞台に登場するために3年の月日が必要だった。
3年もかかった原因の一つに「初顔合わせの壁」がある。
自分の型を持っていて、はまると無類の力を発揮する棋士が多く存在する。
初顔合わせだと全く異なる囲碁観に面喰って動揺してしまう。
経験不足の若武者は気づくと相手にペースを奪われ、あっけなく敗退することが多い。
棋聖戦で加藤充志八段(当時)に2年連続で負けたり、秋山次郎八段(当時)など、独特な囲碁観を持っている棋士を苦手にしていたのはその典型例である。
タイトル経験があるトップ棋士たちによる洗礼もあり、トーナメントを勝ち抜くことはできなかった。
ただし、何の糧も得ずに負けていたわけではない。
艱難汝を玉にすの言葉通り、井山は敗戦ごとに力をつけていく。
七大タイトルの舞台に登場したのは3年後の2008年。
初参加となった名人リーグを6勝2敗で勝ち抜き、挑戦権を獲得する。
当時の張栩名人はまさに全盛期。最強王者に最も勢いのある若手が挑戦する構図となり、囲碁界は大いに盛り上がった。
下馬評は全盛期の張栩を推す声がほとんどだった。
名人戦は七番勝負。先に4勝すればタイトルを手中におさめることができる。
「まだ19歳と若い井山がどこまで食い下がれるかな?」と思って見ていたら開幕から井山が2連勝。
内容的でも押しており、10代の名人が期待された。
張栩も並外れた棋士である。
第3局から5局目で見せた第一人者の底力はすさまじかった。
3連勝して井山を一気にカド番へ追い込み、最終局で防衛を果たす。
内容的には互角だったものの、軍配は張栩に上がった。
負けた井山は悔しさのあまり、自室で涙を流す。
枕を涙で濡らし、「来年こそはタイトルを取るぞ」と心に誓う。
挫折が若き挑戦者をさらに鍛え上げるのだ。
この翌年、井山はさらにパワーアップして雪辱の舞台へ駆け上って来た。
この記事を書いた人
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囲碁界に詳しい謎の情報屋。
囲碁界の情報屋Aが書く記事は怪しさ満点なので東スポのような感じで読んだ方がいい。
「1を10のように言うことはあっても、0を1のようには言わない」が口癖。
ルールを知らない人にも囲碁を楽しんでもらえるようにあえて過激な記事を書いているという噂も…
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