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井山裕太、七冠への道~~第3章~~誰もが認める第1人者へ
2009年、井山は名人リーグを8戦全勝で制し、張栩名人に雪辱する絶好の機会を獲得する。
初戦は張名人が半目勝ちで制したものの、2局目から5局目までは井山挑戦者が4連勝。
4-1で名人位を20歳4か月という最年少記録を打ち立てた。
この時、井山には私生活でも喜ばしい出来事が起こった。
女流棋士の室田伊緒女流初段との交際が始まったのである。
「名人を獲ったらディズニーでデートしてください」の告白が決め手となり、公私ともに充実していく。
(2012年に結婚)
翌年は高尾紳路九段を挑戦者として迎え、4-0のストレートで防衛する。
2011年
張栩が保持する棋聖に挑戦して2勝4敗で敗れたものの、若き名人の快進撃は止まらない。
直後に張栩から十段を奪取し、史上最年少で二冠に輝いた。
非公式戦ながらも世界戦で李セドル九段、古力九段(いずれも当時、世界トップクラス)を破って世界一に。
名人戦では山下敬吾本因坊に敗れて十段位だけの一冠に後退したのもつかの間、結城聡天元をストレートで破って十段、天元の二冠に返り咲く。
2011年は最多勝利、最多対局。賞金額は9151万円で初の賞金ランキング1位となった。
2012年 この年の井山は手が付けられない。打てば勝つといった感じ。箇条書きで井山の活躍を追う。
4月18日、十段戦で張栩棋聖を3-1で下し、十段防衛。
7月19日、67期本因坊戦で山下道吾本因坊を4-3で降し、初の本因坊位獲得。史上最年少での三冠に輝いた(23歳1ヶ月)。
7月23日、37期碁聖戦で羽根直樹碁聖を3-0で下し、初の碁聖位獲得。史上最年少四冠となる(23歳2ヶ月)。
11月22日、60期王座戦で張栩王座を3-0で下し、初の王座位獲得。史上二人目の五冠となる。
張栩が番勝負でストレートで負けたのは初めてだった。
個人的に、衝撃的だった。
時代の移り変わりを感じた。
11月29日、38期天元戦で河野臨を3-0で降し、天元位防衛。2012年は51勝12敗(勝率8割1分)の成績を残した。
2012年の賞金総額は1億620万円で、初の賞金1億超えとなった。
これで五冠達成。
残りの二冠。
(棋聖戦 井山は挑戦者決定戦で高尾紳路九段に敗退。棋聖位は張栩が保持)
(名人戦 井山は挑戦者決定戦で羽根直樹九段に敗退。名人位は山下敬吾が保持)
2013年
2013年3月14日、37期棋聖戦で張栩棋聖を4-2で下し、初の棋聖位獲得(23歳10か月での獲得は史上最年少)。史上初の六冠となり、史上三人目のグランドスラムも達成(最年少記録)。
このグランドスラムというのは囲碁の七大タイトル、将棋の七大タイトル全てを1度でも獲得すること。 囲碁は趙治勲、張栩、井山裕太の3人が、将棋では中原誠、谷川浩司、羽生善治の3人が達成。将棋ではほかに五冠独占の大山康晴を加える場合もある。
囲碁では七冠すべてを取ることは不可能とされていたため、このグランドスラムという言葉が多用された。
しかし気づいてみれば夢の七冠が目の前に迫っている。
「七冠を取れるのか?」ではなく、「いつ七冠を取るの?」という声が出て来るほど井山の快進撃はすさまじかった。
井山さんが日本囲碁界を席巻した様子がこの本に詰まっています。
もし興味があれば この本がいいと思います。
この記事を書いた人
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囲碁界に詳しい謎の情報屋。
囲碁界の情報屋Aが書く記事は怪しさ満点なので東スポのような感じで読んだ方がいい。
「1を10のように言うことはあっても、0を1のようには言わない」が口癖。
ルールを知らない人にも囲碁を楽しんでもらえるようにあえて過激な記事を書いているという噂も…
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